【クレスト・ブックス】モーシン・ハミッド『西への出口』を読んだ

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書誌情報

 

『西への出口』
モーシン・ハミッド 著
藤井光 訳
新潮社
作品通し番号*1 108
レビュー番号 3


内容紹介


中東のとある街で出会ったナディアとサイード。平凡な恋路を歩む中で内線は激化。暴力と破壊に貶められた街を離れようとする二人は、異国に移れる「扉」の存在を噂に聞き、新天地を目指す。西へ西へと移動する者。逆行する者。移動を拒む者。全ての者にとっての「扉」と、カップルの揺れ動く心情を鮮やかに対比させたスタイリッシュな作品。

 


イチオシポイント

 

全世界的な事象がこんなにもスタイリッシュな作品になるとは。SFらしさもあって、難民の物語がこのように描けることに驚嘆させられる。人の移動の本質を見事に書く一方で、国々を移り渡るナディアとサイード、二人の恋と関係性の変化からも目が離せない。どきどきもハラハラも詰まっている、具沢山小説。

 

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ネタバレ注意!読後のひとりごと

 

正直、読み始めはスローだった。なぜなら、どの内容紹介も①若い男女が恋に落ちる ②内戦激化 ③「扉」で他国に移動 を確定事項として紹介しているので、前半は読む前からほぼ内容が分かっている。なので、最初会って、仲を縮めて、というところでは「そろそろ内戦始まるか」と思っているし、内戦が始まると「そろそろ扉出てこないのかねぇ」とソワソワし出す。つまり序盤はほぼ序章であり、確定事項をちまちまとやり過ごしていく読書になってしまった。

 

しかし、移動してからはどんどん面白くなっていった。終盤まで一気に、齧り付くように読んだ。難民と現地民の衝突や難民同士の関係の中にある連帯感や緊張感といった、移動をする人々を取り巻くミクロな事象と、ナディアとサイードの関係性が少しづつ変わっていくプロセス、どちらも絶妙な観察眼をもって綴られている。それと同時に、世界的な人の流れを俯瞰的に捉える力。入り組んだ複数のテーマを過不足なく書き出すバランス感覚がすごい。


そして、読者が感じる世界観の操り方も巧み。内戦が激化する前、ナディアとサイードの目を通して見る二人の住む街が比較的小さな世界に感じられたのに対し、扉で全世界へと物語が繋がっていき、物語の舞台のスケールが大きくなる。グローバリゼーションが進む地球と、日本の片田舎でこの本を読む読者の私が一体になる感覚が生じる。これは無数の家族や恋人や友人や個人の物語であると同時に、現代の地球に住む私たちの物語だと実感させられる。世界と繋がり、胸がいっぱいになっていく読書だ。


「難民」という言葉が絡むとどこか身構えてしまうかもしれないが、本書は現代的でスタイリッシュな筆致だし、後半のペースの作り方が小気味良くて読みやすい。そしてちょっとSF風味もある。どこからともなく現れる「扉」はほぼ某猫型ロボットのひみつ道具だし、一時は内戦激化で使えなくなったスマートフォンを新天地で活用する姿も、どことなくSF感がある。現代の国際的問題を捉えつつ近未来的な要素も堪能できるのが文学として秀逸だと思う。

 

「扉」に関連して、解説にすごく面白い論点が書かれていて、感激した。本当に素晴らしいのでネタバレはしない。この本はなにせ内容が濃いので、読んでいる最中は没頭していて、深い分析に至らない状態だった。読み終わって興奮冷めやらないうちに解説を読むと、目から鱗が落ちる視点が紹介されていて、もう一回読まないと! と思わせてくれる一種の仕掛けのようだった。もちろん『西への出口』は本編だけでも十分面白いのだけど、解説が「味変」して読む際の良いスパイスにいる。

 

クレスト・ブックスに限らず、長編を読んでいるときに、読み切らないうちに解説を読む、名付けて「フライング解説」してしまうことが多々ある。大体読書に支障は出ないのだが、たまーにネタバレされて二日くらい落ち込むこともあるので辞めればいいのだが、終わりが見えない時とか、あまり事情を知らない国の話とかだと、結局情報を探してやってしまう。今回も若干フライングしたのだが、解説の序盤で紹介されているハミッドさんの経歴がすごくて、ひとしきりワーワー騒いだのちに、騒ぎつかれて本文に戻るという珍現象が生じたため、解説自体をネタバレされず済んだ(笑)。だってトニ・モリスンに授業で褒められて、マッキンゼーで会社員やりながら小説書いたって、こんなに華やか経歴はなかなか見ないですよ! 代表作The Reluctant Fundamentalistは邦題『コウモリの見た夢』(川上純子訳 武田ランダムハウスジャパン)で出ている。読もうと思ったけど図書館の予約システム、予約しすぎて上限になってしまった…。またの機会に…。

*1:✳︎ 作品通し番号は2018年に新潮クレスト・ブックス創刊20周年を記念して発行された小冊子掲載の新潮クレスト・ブックス全点カタログの品切れ本(0~番)を除いて算出しています。